2018年


ーーーー12/4−−−− 時間が解決する


 会社勤めをしていた30代前半の頃、中国向けの大きなプロジェクトの担当になった。年産30万トンのエチレンプラントを3基建設するというのだから、今から考えれば桁外れの巨大案件である。

 その中で私は、所属していた部門の本来の業務である蒸気発生設備と発電用蒸気タービンを担当した。それに加えて排煙脱硫設備という、新たな分野の物も扱うことになった。

 その設備は、小型のプラントのようなものであり、あるメーカーに丸投げすることになった。そのメーカーとの技術的な窓口を、私が兼務することになった。それやこれやを合計すると、私一人で、100億円以上の仕事を担当することになった。どう見ても、尋常なことではない。

 プロジェクトの折々に、客先(中国人)との技術打ち合わせが行われた。建設予定地の付近の宿舎に泊まり、会議場に出掛けて連日ミーティングを行うのである。これはとてもハードな出来事であった。

 こちら側の出席者は、各部門のエンジニアとプロジェクトの担当で、合計10名ほど。相手側は、エンジニアが20名くらい。時には客先の要望により、体育館のような場所で、数百人の観衆に見られながらミーティングをしたこともあった。

 まだ30歳そこそこの若造だった私である。本来の業務に関してですら、技術的な細部に渡って熟知しているわけではない。ましてや、それまで聞いたこともなかった排煙脱硫設備に関しては、チンプンカンプン。私は会議に日本からメーカーの担当者を同行させるようプロジェクトに懇願したが、あっさりと断られた。

 連日の技術打ち合わせは、針のむしろに座らされたようなものだった。知らない事を喋らなければならないのである。しかし、一応それらしい対応をしなければ、客先に怪しまれるし、プロジェクトから叱られる。冷や汗をかきながら、客先の質問をのらりくらりとかわす。時には企業秘密だなどと言ってごまかす。国会の参考人質疑のようなものである。真面目な性格の私としては、実に辛い状況だった。

 ある日、宿舎に戻って私は、チーフエンジニアのK氏に思いを伝えた。

 「毎日とても辛いです。いったいいつになったら終わり、この状況から開放されるのか、予想もできません。まるではるか遠くの山頂も見えず、重いザックを背負って歩いている登山のアプローチのような感じです。しかし、登山がそうであるように、いずれ時間が解決してくれると信じています」 するとK氏はこう返した「たしかに時間が解決してくれるだろうが、そのためには歩き続けなければならないのだよ」

 当然だが、その技術打ち合わせは終った。30年以上前の出来事として、今は懐かしく振り返るだけである。K氏のアドバイスは適切なものだったとは思うが、それが無かったとしても、あの打ち合わせが今でも続いている事はありえない。何らかの形で、やはり終っていたはずだ。

 全ての事は、時間が経てば必ず終わりが来る。早いか遅いかの差はあっても、その事実は変わらない。だから、辛い事のさ中にあっても、時間が経てばいずれ終るという希望を持つことが大切だ。逆に、楽しい事にも、必ず終わりが来る。だから、楽しんでいる時は、その時間を大切に思い、しみじみと味わいたい。





ーーー12/11−−− ハイゼックス


 
ハイゼックスという名を聞いたことがあるだろうか。これは、災害時に使う炊飯袋の通り名である。ハイゼックスそのものは、ポリエチレン系の材料の一種だが、それを使った炊飯袋が商品化されており、それを一般的にハイゼックスと呼んでいる。それを、今年度日赤奉仕団の炊き出し訓練に参加して初めて知った。

 紳士物のソックスくらいの大きさの長方形の袋である。それに米と水を入れ、中の空気を押し出すようにして絞り、先端を固く結ぶ。それを沸騰した湯に入れて30分ほど経つと、ご飯が炊けるという仕組み。米は研いであってもなくても構わない。ただし、研いでない米を使う場合は、水を多めに入れる必要がある。米と水の量は、袋に印刷された線に合わせれば良い。一合の場合と半合の場合の二通りの線が、実線と点線で区別して記されている。

 炊き上がったら、袋を切って中のご飯を別の容器に出すか、あるいは袋を握って押し出しながら直接食べても良い。炊き出し訓練では、ご飯だけで食べられるように、入れる水に薄い塩味を付けた。これも工夫次第で、例えば梅干を入れたり、塩昆布を入れて炊いたりすれば、味のバリエーションが出来る。さらに訓練ではわずかな量の酢を加えた。これは味付けではなく、日持ちをさせるためだとか。そうすれば、夏でも一週間くらいは保存が可能だそうである。

 このハイゼックス、なかなかの優れものだと感じた。災害時は、水が貴重になる。鍋や食器を洗う水は節約したい。ハイゼックスを使えば、鍋も食器も要らない。沸かす水は必要だが、食材に触れることは無いので、溜り水や川の水、極端な話泥水でも良い。湯を沸かす火力は必要だが、カマドさえ準備すれば、焚き火感覚で暖を取りながら湯を保てば良い。どれくらいの被災者が避難場所に来るか想定できない場合でも、来た人数に即応して調理をすることができる。余った場合は保存できるし、再加熱も簡単だ。

 災害用としてインスタント飯のような商品もある。湯を入れればすぐに炊ける、あるいは水でも時間をかければ飯になるので便利だが、値段が高い。それに保存期限がある。従って、備蓄する量におのずと限度がある。その点ハイセックスなら、普通の米を使うので、一般家庭にある米で事足りる。

 これは災害時以外にも使えそうな気がする。例えば登山。テントサイトで炊飯する際には、30分間はちょっと長く、燃料ももったいないが、山へ行く前の晩に炊いて、袋に密封したまま山へ持って行くというのはどうだろうか。夏場なら、炊きたての握り飯でも一日もつかどうかだが、ハイゼックスなら数日は大丈夫。給水に不安がある場合など、山行によっては、利用価値があるように思う。




ーーー12/18−−− 簡素なホームパーティー


 
忘年会やクリスマスパーティーの季節になってきた。ご家庭でパーティーをやる機会もあるだろう。そこで、知人から聞いたこんな話。

 日本国内に住んでいる外国人からホームパーティーに誘われた。他の外国人も招かれているようなので、いささか緊張して準備をし、そのお宅に向かった。

 パーティーが始まって驚いた。出てきた料理はコップに立てた野菜スティックだけ。それをポリポリかじりながら、ビールやワインを飲む。それだけで話に興じ、2〜3時間を過ごす。そんなホームパーティーだった。

 同席した外国人たちの様子を見ると、このスタイルは特に変わったものではないようだった。つまり、外国でのホームパーティーは、こういうのもありなのだと。外国の映画やテレビドラマを見ると、盛りだくさんな料理が並ぶ、ゴージャスなホームパーティーが登場するが、そういうものばかりではないらしい。

 ようするに、負担を軽くして、気軽に楽しむことを意図しているらしい。このようなパーティーの目的は、美味しい家庭料理を食べることではなく、会話を楽しむこと。だから、野菜スティックでOK。

 わが国は「おもてなしの文化」だそうだから、美味しいものを出して喜んでもらうということが、ホームパーティーの前提となるのだろう。来客を迎えるとなると、奥様がはり切って料理を準備するというのが一般的ではなかろうか。

 しかし、料理が得意でない主婦もいるし、好みの問題もあるから、真に来客を満足させられるかどうかは分からない。その一方で、「他者と比べる」というのもわが国の文化の特徴であるから、次第に内容がエスカレートする。それやこれやで、不安と負担が増大し、気軽にパーティーを開けなくなる、ということもあるように思う。

 外国では、家庭料理は質素で実質的、という傾向があるらしい。美味しいものを食べるならレストランで、という考えもあるようだ。また、主婦の負担を軽くするために、週に何度かは外食をするという家庭もあると聞いたことがある。

 それらのことを考えると、ホームパーティーでご馳走を出すというのは、よほど奥様に料理の自信があり、しかも行動力がある場合に限られるのかも知れない。それは言わば特殊なケースであり、誰もが真似をするようなことでは無いのかも。

 それにしても、人を招いておいて野菜スティックだけとは。物事をドライに割り切り、目的に合わせて実質的に、というのも理解できなくは無いが、これもまたちょっと真似できないスタイルだと感じられた。

 



ーーー12/25−−− この一年


 
今年は大晦日が月曜日なので、まだ一週間ある。この先何か重大な事が起こる可能性もあるが、とりあえずこの一年を振り返ってみたい。

 おめでたいことが二つあった。次女の結婚式(5月)と、息子の婚姻届(12月)。これで我が家の三人の子供たちは、それぞれ納まるべきところに納まった形になった。

 稼業の方は、低迷状態が続いている。私のみならず、同業者はおしなべて景気が良くないようだ。一昔前と比べると、明らかに仕事を巡る世の中の動きが悪くなった。大企業はガンガン儲けていて、それをもって景気が好調などと政府はのたまわっているが、庶民感覚としては、どうもこの世の中はおかしくなって来ている。

 ほとんど唯一の日常的な健康活動である裏山登りが、66回と、昨年の110回を大きく下回った。まあ昨年が上出来過ぎたということであり、2013年から2016年までの4年間の平均が50回だったから、特に低調だったわけではない。

 裏山登りの回数が減った一つの原因は、夏から秋にかけてマツタケ山に通ったこと。夏場は整備作業に、秋はマツタケ採りを目的に連日のように山に入った。その成果は、メンバーの期待をはるかに下回ったが、それでも私自身としては9本採れた。過去に自分で採ったのは2016年の1本だけだったから、大きな進歩と言える。

 趣味の登山(本格的な登山)は、たった1回しかできなかった。お盆に遊びに来た次女夫婦を案内して登った、北アルプスの爺ケ岳である。曇り空で出発したが、途中から雨が降り出し、稜線では風雨に叩かれた。婿殿にはなんとも残念なデビュー山行となったが、他の登山者が山小屋の中に逃げ組む中、野外のテーブルで、手がかじかむ寒さにもめげず、平然と食事を取る若い二人を見て、心強く感じた。

 昨年秋から始めたチャランゴは、毎月のレッスンをこなし、発表会にも参加した。なかなか得がたい経験もし、「芸は身を助ける」という言葉の意味を実感した。

 教会では役員に任ぜられ(と言っても私は地区の連絡係)、また3ヶ月に一回のペースで担当となる司式もこなし、聖歌隊の練習にも参加して、クリスマスのキャロリングも行った。心の支えとなる信仰を持続できて、幸せを感じた。

 4月から区の総代という役に就き、これまでに110回の出動を数えるほど多忙だった。今年、思い描いていた私事がなかなか実現できなかったのは、この職務のせいもある。たいへんではあるが、これは地区のための仕事であり、年齢の順で受けなければならない役だから、文句を言うつもりはない。これもあと3ヶ月の辛抱である。

 過ぎてしまえばあっという間の一年だった。こうして振り返れば良い年だったと思う。事故や病気などの災いに見舞われなかった事だけでも、幸いだったと見るべきだろう。来年以降どのような状況になるか分からないが、希望を持って暮らしていければと思う。

 今年も週間マルタケ雑記をお読み頂き、有難うございました。来年もよろしくお願い申し上げます。

 良いお年をお迎え下さい。